20:19 2005/05/05 ●伊豆にチャリンコを背負って行ってきた。 待ち合わせは6:30に東京駅。 駅前で輪行袋に自転車を詰める。前回は四苦八苦したが,今回は割とすんなりと入った。 なぜ前回あんなに苦労したのだろうか?? それはきっと酔っ払っていたからです。 ただし,今度もハンドルが袋からはみ出ている。なぜかハンドルが納まらないのだ。 まあ,仕方ないので,そのまま東京駅へ向かう。 新幹線で三島まで行った。車両の最後部に自転車を収納する。 今回は4人で行ったが,すんなりと収まった。 出発!!三島まではあっちゅうま。三島から修善寺までは電車で行く。 経路を簡単にメモっておこう。 修善寺,国士峠,更科峠??山科峠??から松崎へ。岩地で宿。岩地から蛇石峠を通って下田へ。 修善寺から国士峠は最初はゆるい登りだったが,途中からストイックな登りになった。 下ったところで,コロッケを食べて,次の峠へ。。。 通行止めをものともせずに登っていく。車が通らないので,かなり楽しい道だ。 登りだということ意外は。。 今回一番軽いギアをこれでもかというほど使った。 足がくたばって重いギアが踏めないのだ。。。 途中歩いたりもしてしまった。結局,標高が900m位の峠に登りつめた。 松崎まではひたすら下り。登った分,下る。 最高に気持ちよいが,危険。。。 ブレーキが唯一の頼みの綱。 最高速度は64キロくらい。どうやら標高が高くないとこの速度は出ないらしい。 40キロを超えると世界が変わる。車体は暴れるし,急な挙動ができなくなる。 ライン取りと速度調整が難しい。 フロントサスのお陰で少しは楽だった。 路肩は砂利が浮いてるので,寄り付かないようする。 一回痛い目にあっているから。。。死にかけたから。 山道を超えたらだら下がりの川沿いの道。30キロフラットで流せる。 松崎で車に接触。左ウインカーの車を右から抜いた。 思ったよりスピードが出ていたのか,マージンが少なくて,ハンドルがぶつかりそうになり体を捻った。 普段ならクリアしているのだが,リュックが当たった。 まあ,いろいろあるっすよ。 岩地はいいところ。 湾に向かって船宿などが立ち並び,きめの細かい白い砂浜が広がっている。 夏にいったら最高だろう。宿のおっさんの暖かい出迎えとともに風呂に入る。 今回は左ひざは痛くならなかった。 ゆっくり体を癒して飯を食って寝るべし。 二日目はいきなり登りから始まる。 軽くクリアして蛇石峠へ。三回目の峠は寡黙に踏むべし。 相当きつかったが,何とか峠へ。「峠を抜ける風」が心地よい。 あとは下るだけ。でもないが。 竹の子村で昼飯。うまかった。下田へ。飽きてきた。温泉。寿司。袋詰。帰路。 右ひざが痛む。 なんといってもこの季節,新緑,深緑。 新しい青葉が萌え,山肌をまだらに染めている。 まだ鳴きなれない鶯がここそこでさえずり,竹林では地面から竹の子が垂直に立ち上がっている。 流れる風は爽快で真夏の射るような日差しではなくじっと見守るような塩梅。 自転車には最高の季節だろう。空気には生気が満ち溢れ,流れる川の水も清澄そのもの。 路上には冬眠から目覚めたばかりであろう哀れな蛙がひしゃげてのびている。 ちなみに今日はゆっくり休息。石を買ってきた。スピーカースタンドに詰めるつもりだ。 13:34 2005/05/19 ●絵心,歌心,詩心?よく分からんが文化って難しい。 カルチャーよりちょっと重い気がする。 ことに文章となるとからっきし駄目。会話も苦手。 日本語うまくしゃべれない。 鉛入り半田を使いすぎて言語中枢がやられてるんだろ。 価値観の多様化?情報伝達の高速化・一般化。 情報の共有・氾濫。 やっぱしココ100年くらいで時間の流れが10倍くらいに速くなっているのではないか。 人間の時間の流れということになるのかもしれないけど。 資本主義と自由競争経済がもたらした時間の加速なのか? 競争が人間,いや,生命の本質だとしたら,進化のスピードはどんどん速くなる。 つまり加速度的に速くなる。速くなり具合,つまり加速度が一定なのではないか。 生命の進化の速度を時間で微分してみる。そうすると進化の加速度になるのだが, そもそも,進化というものは加速度的なものであるのではないか? 例えば,商品開発で考えると,研究に10年かかったモノは商品化には1年だったりする。 そして一旦商品化されれば進化の速度は飛躍的に向上し,次々と新しい類似品が生まれてくる。 そして最後には進化が飽和して安定すると。 飽和したら新しい商品を考えると。 乾燥機能付洗濯機だって,乾燥機自体は昔からあるのに,ココ1年くらいで急速に進化して普及した。 人間の進化もココ50年で飛躍的に加速した。飛行機が空に舞い上がったのはほんの100年前だ。 飛行機の進化は500人乗り程度のジャンボやエアバスでパッと見であるが進化が止まった。 いわゆるジャンボジェットB-747の初飛行は20年以上前の70年代だったろう。 うちのおやじの世代は自動車が珍しかった世代だ。 江戸時代とかを考えると農民は生まれてから死ぬまで畑を耕すだけ。 新しい道具の開発もたま〜にだったろうし,結構な平々凡々の日々だったろう。 べつに何が言いたいのでもなくタダ思いついただけ。 新しいものを生み出すのがDNAならば古いものに固執するのもDNAの働きだろうか。 22:00 2005/05/29 ●どうやらログ機能は容量に制限があるようだ。 最近はやりのブログというヤツ。彼はどうなんだろう。 確かにこうして自分のWebPageを持っている人間がとやかく言うのはおかしいかもしれない。 なんとなく自分の言いたいことをまとめてみるというのは人間にとって必要なことなのかもしれない。 物書きとそうではない人にどんな違いがあるのだろうか。 政治家とそうでない人にどんな違いがあるのだろうか。 すべてのことに同様のことが言える。 職業というものは責任と共にある。 職業でなければどんなに無責任でもよいのか。 WEB上での人格の形成というものはひどく厄介だ。 著名な人物がブログなどやっていればどちらかといえばWEB上の人格は後からついてくる。 しかし,無名な人間がWEB上で自己を表現しようとすると人格が先行する。 つまり容姿や年齢,性別が後からついてくるのだ。 逆にいえば自分のリアルな姿にとらわれずに自由に自分を表現することができる。 もちろん唯一絶対の人格である必要もなく,望むなら違った人格をいくつでも持ちえる。 普通は自分以外の人格を自分のなかで制御するのは疲れることなので,やはり素の自分が出てしまうだろう。 WEB上で知っている人格者はやはり日常でも人格者なのだろう。 逆にいうと,ハンドルネームが匿名であることをいいことに普段とは違い不必要であったり配慮に欠ける発言をしてしまう人も良く見かける。 例え小学生だろうが,定年後のオヤジであろうが見分けがつかないということである。 という自分もかなり不適切だが。 やはり何にしても客観的に自分を見つめるということは難しいことで,メールを出した後に後悔したり,返事をもらって後悔したり,掲示板に書き込んで後悔したり。 まあ,掲示板で盛り上がっているのを良く見かけるけど,あれはあれで見ているだけが一番面白い。 自分は足を突っ込まないようにしたいが,穏便に済ますのもなかなかむずかしい。 仕事上ならばもっと気を使うのだろうが,私生活だからといって無遠慮なのはしょせんそれまでの人間だと思われても仕方ない。 何でいまさらこんなことを書くかというと,学生の頃はこんなこと気にならなかった。 なぜなら,周りの人間はそれなりにネットを使いこなす人間だったからだ。 それが,自分の両親や,友人などネットやPCになじみの薄い人間がASCIIでのやり取りをはじめているのみたり,していると危機感と共に違和感や恐怖を覚えるからだ。 自分はネットに入り込むことは意識的に避けている。 なぜかよくわからないが,技術的に見て決して完成されているものではなく,整理されているわけでもなく,それ自体が生き物のように進化していき,誰に操られているわけでもなく,自然のバランスの上で成り立っているように見えるからではないかと思う。 なぜ自然のバランスに脅威を覚えるかというと,自然な状態がもっとも混沌とし,秩序のない状態であるからだ。 太古の人間が森を恐れ,海を恐れたように,私はインターネットの世界を恐れている。 どんな怪物が潜んでいるのか想像もつかない。 人づてに見聞きした噂が支配している世界だ。 別に冒険に出ないわけではない。 ただ,無謀しか思えない知識しかもたない身としては,無闇やたらに海や山に挑もうとはしない。 自分のコントロールできる範囲でしか物事は判断しない。 もし難解な事物にぶつかったら逃げればいいだけである。 夢の中で現れた怪物が現実で襲ってこないのと同様に,ネット上の多くの怪物は私生活まで脅かすようなことはないと考えている。 パソコンというものもインターネットというものも冒険心をくすぐるようだ。 椅子に座ってマウスを片手に簡単に冒険心を刺激することができる。 ちょっとした満足感を簡単に味わえる。 あくまでもリアルの世界が全てだと信じているのはアナログ人間だからであろう。 ハイビジョンのような映像技術が進歩してもやはり視覚と聴覚の刺激だけでは満足できない。 テレスペースというのが究極の技術だと誰かが言っていた。 テレフォン,テレビジョン,テレスペースだと。 逆にいえば,テレポーテーションでいいということになる。 自分の身の回り以外の非日常の世界を見せることが20世紀の情報技術であった。 そうした人間の欲望がオーディオも映像も進歩させてきた。 しかしながら,例えば,火星や金星にハイビジョンカメラを持ち込めばそれで済むのか? 結局人間は自分の足で大地を踏みしめ,空気を吸い,その場の雰囲気を感じなければ満足しないのである。 旅行が好きな人がいる。ダイビングが好きな人がいる。 宇宙に行きたがる人がいる。 結局人間はテレポーテーションを望んでいるのではないか。 そして技術者というものはその技を極めることこそが究極の目標なのではないか。 やがて人類は太陽系を離れ宇宙で自立した生活をしていかなければならなくなる。 もちろん,宇宙に出て行くまでに,地球の環境が人間の生存を許している時間が十分にあることが必要であるが。 そんな未来のことを考えても仕方ない。 人間の進歩,技術的にも精神的にもであるが,それが停滞するとも限らない。 すでに先進国では人口の増加が止まり,貧しいかどうかよりも現状を維持できるかどうかに不安を覚える。 進化は加速度的だと前回つぶやいたが,この分ではそろそろ停滞するだろう。 急激な進化は一見無秩序から秩序を作り出しているように見えるが,新しく作られた秩序こそ今まで気づかなかった矛盾を含み,それが表面に出てくると混乱を招き,やがて混沌とした無秩序へと移行していく。 時間というものは常にそういった流れと共にあり,エントロピーだか,エンタルピーだかといもので説明できるらしい。 人間が新しいものを常に求めるのも秩序を求めるからであり,新しいものを求めるからこそ無秩序が生まれていく。 もし今後,人間の精神的進化が究極の状態に達し,秩序を求めない進化しない状態が究極の状態であると悟ったとしよう。 しかしながら,自然環境は自然に形を変えていく。 やはり生命は周辺の環境に合わせて進化を繰り返し,自然現象に脅かされながらも負けずに克服していくのが流れなのだろう。 その為には多様な生命体が必要であり,決して人間がだけが選ばれたわけでもなく,1万年後はゴキブリだけが生息することになるのかもしれないといった意味で,生命の多様性はこれまた自明なことだと考えるのが自然だろう。 自分というこの意識がなぜこの場でこういった思考をするに至ったかそれはよくわからない。 それも流れの中では誰かがどこかで思考することなのだろう。 人間考えることはみな同じだと思っている。 それを形にするかしないかの違いが大きいと。 そう考えると人間は形を生み出す能力を持っている。 ゴキブリには形を生み出す能力はない。形作るという発想もない。 だけども,案外宇宙の流れといった事に関しては毎日思考をめぐらしているのかもしれない。 たとえ世代交代経ても思考が継続していく生命体が存在するとしたら面白い。 親の思考を子供がそのまま引き継ぎ長い時間をかけてゆっくりと論理を組み立てていく。 人間はすぐに昔のことを忘れるし,親から聞いたことや,歴史的なこともすぐに忘れてしまう。 もしかしてこれからの新人類は高度情報化(NHKっぽいな)時代を生きていくことで,知識の共有化と継続化が進み誰かが考えたことを文字に残すことで誰かが引き継ぎ,少しずつ進歩していくいう人類にとっては新しいフェーズに達したのかもしれない。 しかしながら,検索エンジンが優秀になっても埋もれてしまう情報はあるだろう。 ハードディスクの片隅で廃棄を待っているデータを想像するとなにやらもったいない。 しかしながら,忘れることも人間の本質であるからして,ハードディスクの中身を廃棄することを恐れてはいけない。 どうせそのうちに廃棄したことすら忘れてしまう。 情報の海が広がりつつある。 そのうちに災害が訪れよう。 そのとき自分はどうするか。 後ろ指を指されつつ隠遁者になるのか,社会の波に呑まれるのか。 13:49 2005/06/04 ●ちょっと前の日記を読んでみる。別に何度も読み返している内容なのでどってことない。 やはり恥ずかしくもある。日記は公開してよいものと,決して人には見せられないものの2種類必要だ。 自分の過去が存在した証拠として日記みたいな記録があると良いと思います。 写真でもよい。写真のほうが手軽だ。でもなんか文章って特別だ。 自分の書いた文章を読むと文章に書いてあることだけでなく,そのとき考えていたことが思い出される。 絵も同じだな。小学生や中学生の頃,図画工作や美術の時間に絵を描いたけど, ほとんど残っていない。 たまたま,残っている絵を見ると当時の記憶がよみがえる。 自分が描いた絵で忘れられない絵がある。 友達の肖像を描こうというテーマでクラスメイトの横顔を描いたのだが,これがひどく上手にできたのだ。 少なくとも自分でもうまいと思ったし,先生も誉めてくれた。 そのクラスメートは無口で内気なやつで学区外から通っているやつだった。 内に秘めたものというか,自己表現しない彼の存在をそのまま受け入れ,描くことができた。 それは理系の人間として,ただ肖像画の対象物,静物として彼を捉えたのかもしれない。 人間としてではなくて形として分析的に捉えていたのかもしれない。 しかしその時の気分は少し違っていた。 彼の顔の細部の特徴をひとつも逃さないようにつぶさに観察することによって 普段は話すことのない彼とコミュニケーションを取れた気がした。 ホントに親しい友人が対象だったらうまくいかなかっただろう。 上手に描かなければならないというプレッシャーがあったりしたら,相手の全てをありのまま捉えることはできなかっただろう。 自分は人を前にして捉えることができる相手の人間性というものはとても少ないのだろう。 受け取れる器が小さいのである。 表面に出ている個性に捕らわれて相手を決め付けてしまうことが良くある。 大きな器で相手を捕らえることができるようになればいろいろ楽になりそうだ。 結局人間は独りで生きていくことはできない。 周りの人間とのやり取りの中にしか自分の存在を確かめることはできない。 コミュニケーションを日本語で表すと何だろう??やりとり。連絡。通信。 通信だろやっぱ。。。交信もいいな。 宇宙と交信する。葉っぱと通信する。 22:29 2005/07/23 ●言葉って難しい。奥深い。意識しないで使えるものが言葉。 仕事って意識しないでも自然に体が動くものだと思う。 モチベーションを奮い立たせて仕事に取り込むってもんではない。 そういえば,ずいぶん長い間LOGってなかった。 やはり忙しかったからか。 バンド練があると週末があっという間だ。 その分平日もあっちゅうまだ。 今回の「たまゆらロックフェス」の感想メモっておこう。 メインスピーカーはターボサウンドのTMS-4。 なつかしのスピーカーだ。今回は2対向。 全体域にホーンロードがかかっている能率の高いスピーカだ。 サブウーハー(業界ではサブロウとか言うらしい)はメイヤーのM2D-sub。 15インチ2発のパワードスピーカーだ。 なんといっても今回はレンタル屋さんに迷惑をかけた。 出力周りの仕込みをほとんどやってもらった。 出音は十分な音量と音圧をもっていて,さすがに指向性のするどいスピーカだと感じた。 サブのお陰で低音も不足なかった。 野外は芝コンでしか経験がないのだが,いつもフラストレーションがたまっていた。 スカスカの低音と歪みきった中音域。そしてのびない高音。 まあ,それが4115の音だ。 今回はマイクのEQの設定がハチャメチャなのに気づくのが遅く,実力のほどはわからない。 ボーカルの音がいまいちだとずっと感じていたのがそのせいだったかもしれん。 デジタル卓はちゃんと使いこなせばなかなかよい。 03Dはずいぶん前の製品だが思ったより使いやすかった。 そして,コンプやパライコを自由に使えるのが最高!! なんといってもリハ不足。成功させたいならリハは必要だな。 再認識。 もう一度出音について。 低音は十分抜けていた。メイヤーが若干ドロドロな低音だったが, TMS-4はホーンロードのかかったパンチのある低音なのでバランスは良かったかも。 中音域は音圧十分。一番不安は高域の抜けはあまり感じなかったものの バランスがよかったためほとんど気にならなかった。 今回悩んだのはなんといっても電力。 いつもは騙し騙しで使っているが今回は規模が違った。 PC3500が6台。使用チャンネルは10チャンネル。 各5Aと見たらそれだけで50Aだ。 それにサブウーハーが各10A。 合計で60A。3kジェネを一台余計に借りてくれたので結局しのげた。 ジェネをPAに使うのは若干抵抗がある。 これもあの忌まわしい体育館のせいだ。 TMS-4と共に思い出すのは極寒の体育館。 プロジェクターをジェネから電源をとったのだが,感電した。 映像卓とPA卓に電位差がある。 実際プロジェクターが故障したりして。 アースのとり方がまずいのだと思うのだが今となってはなぞだ。 結局ジェネの使い方は良くわからん。 交流だからといってグランドをとらなくて言い訳でなくて, 基準は必要だし,基準がずれたら最悪100Vどっかに漏れる。 大体,ほとんどの音響機器は電源にトランスが入っているから電源のグランドの電位はあまり気にしなくていい。 といっても交流は微小なCがあっても漏れてくる。 トランスには1次側と2次側に浮遊容量があるからして, 交流は漏れる。 50Hzや60Hzも漏れる。 ACにノイズが乗っていたらノイズも漏れる。 今回は屋内で不思議な現象にであった, 普通コンセントの極性を気にしなくてもACの電位差はあるが,DCは出ない。 今回はDC50Vでた。 どっかで整流されているのか??? コンセントの極性を合わせたら10Vまで下がった。 50Vは指でも感電してることがわかる。 裸足で湿ったコンクリートの床を歩いていたからか? 建物のアースとコンセントのアースに電位差があった? 例の耳障りな高周波のノイズが出ていたのが,コンセントの極性を合わせてDCの電位を10Vに追い込んだら消えた。 オーディオ機器だって同じだろう。 所詮高周波からの飛び込みが音を濁らせる要因なのだろう。 21:45 2005/08/07 ●最近自宅からネットできるようになった。 それおいておいて,とうとうPCM1704を動かした。 知ってる人は知っているこのDAC,各社の高級CD-Playerにも搭載されている。 もちろんDVD-Playerとかにもね。 何でこんなものを動かしたかというとジャンク箱で拾ったから。 どこのジャンク箱かは秘密だか某社の某AV製品に搭載されている音声DAC基板を拾った。 まあ,その製品が50万くらいするのはこの基板のせいではなくて, いろいろと無謀な設計をしているからなんだと思うけど,この基板にもかなりのマニア心が宿っている。 PCM1704はエソテリックとかソニーとかデンオンとかパイオニアとか結構いろんなところが使っている。 まあ,もう廃れ始めているが,定評があるDACだといってもいいのだろう。 まあ,使いづらい電流出力だったりするのもマニア心をくすぐるというものだ。 基本はOP-AmpによるIV変換だが,集積半導体が好きじゃない人は抵抗1本でIVするのがいいと主張したりする。 もう,議論が盛り上がれば文化は生まれてくるので,いろんな人が自作に挑戦している。 DACをN個パラレルにするとノイズが1/√Nになるということでパラレルがはやるのだが, 多数パラレルにすると製作が大変なもんだから自分で基板を起こしてしまった人もいるようだ。 その基板を使ってさらに多くの人が自作に挑戦・・・まあ,なんと素晴らしいことではないですか!! ネット通じて素人ながら電子工作から自作オーディオまでの文化を育むなんて。。。 自作や改造を危険だと言う人もいるが,設計者から見れば確かにそうだろう。 高信頼・高品質・高音質・低コストを目指して高価な測定器を駆使して毎日夜遅くまで設計している設計者には頭が下がる思いだ。 安くて,音がよくって,見た目もいけてる製品なんてそうはない。 だからこそ自作がすきなのだが,自作だって音がよくって見た目がいいものは金がかかる。 すぐよこみちにそれるんだから。 拾った基板を手直しして手元にあるディスクリートDACのCS8412から信号を4本ほど引っ張り出してDF1704に入力したわけさ。 最初はビットがずれちゃってファズみたいな音になってた。 もちろんメーカー製の基板だから3線式のシリアル制御でDF1704を動かしていたわけで, ここらへんはモード切替のPinをプルアップしたりプルダウンしたりしてモードをあわせるわけだ。 英語の仕様書を読むのも趣味のうち,,,にはならないのだけど,致し方ない。 ここでもインターネットはやはり便利で,仕様書はいくらでも引張れる。 海外には仕様書サイト見たいのもあるが,これがいけてないことに有償なのだ。 怪しげな東欧系やロシア系サイトは無償でDLできるところも多い。 まあ,あれこれプルアップしたりプルダウンしたりしてやっとこさ音が出たわけだ。 256fs(11MHz)の信号を引き回しているわけで,GND処理がいいかげんなうちはビット落ちというか, デジタルが破綻してて引き回したリード線に触ったりするとザザザッ〜とビットが流れるというか,エラーが出まくる。 まあ,そこらへんの処理もまともにしてやってやっと動いたですよ。 いや〜ビビったねそりゃもう,一瞬固まった感じかな。 ブッシャ〜って音場が広がって,シンバルのおとが消滅していく様が手を伸ばせばつかみ取れるんじゃないかって。 そんな感じ。 そのかわり録音のアラも全て把握できる。いかんなこりゃ。楽しくCDを聴けなくなる。 エディークレイマーが言っていたようにミッチミッチェルのペダルの鎖がギチギチ鳴っているのがわかる。 それよりこのテープヒスノイズはどうにかならんのかね?以前はこんなに気ならなかったけど。 そしてあきれるほど低音が出る。だらしない位に低音が出る。 床がビリビリいってるし。 まあ,うちのスピーカはNF-1だから16センチ一発+ツィーターなわけだが,ここまで低音が出るとは。。 あきれ返るばかり。 もともとNF-1の低音はだらしのない出方でボン付ぎみだとは思っていたがちょっとだらしない。 しかも高音の伸びは良くなったが10KHzあたりが耳に突き刺さる。 解像度が云々言うが10kHzから上の出方が解像度を決めるといっても過言ではない。 カサカサいう高音(NF-1)という批評も頷ける。もうちょっと高級な音?なんだそりゃ?だと良かったが。 まあ,ウーハーと感度を合わせるためにわざわざソフトドームにしたと言われているが, ゲイン合わせにセメント抵抗とかを使っていないのも,音質にはいい方向に働いているのだろう。 ここに高価な金属皮膜系のハイワッテージな抵抗を使ったりして値段が上がるのは本意ではない。 NF-1にみるFOSTEXの戦略も明確で,徹底的にシンプルに設計してコストを抑え, シンプルさから来る高解像度でプロが仕事で使えるようなクオリティを確保すると。 まあ,オーディオに向かないのは火を見るより明らかというか今もライクーダを聞きながらそう思っている。 アコスティックな楽器を再生するにはいいシステムになってきたかな。 最近のマルチマイクの録音だとリバーブの飛ばし方が気いらないときがあったり, ちょっと昔の録音だとノイズが気になったり,過大入力で音が歪んでいると気分がぶち壊しになる。 ライクーダの録音はわりとダイナミックを大切にしていて音がサチるようなことはなく, 最近の音のようにギチギチにコンプやリミッタで固めていない。 しかも,濃厚なディストーションギターやシンセとかの楽器をやたらと詰め込んだり, ストリングスやオルガンで隙間をベタ塗りしたりしないので, アコスティック楽器がそれぞれのスペースを持ってちゃんと配置されているのが良くわかる。 そんな録音がそれぞれ粒立ちの良い音でアンサンブルが聞き取れるもんだから結構楽しいし気持ちい。 ちなみに今聞いているのはパラダイスランチ。 新しい録音では音が割れたりはしないが,楽器の音色が冷たくてデジタル臭くてしかも残響感がやはり不自然。 TOTOのスルーザルッキンググラスは音がHiFiで結構好きなのだがやはりアナログ時代の良い録音には及ばない。 そういう意味ではクラシックなロックアルバムで音的にも音楽的にも気に入っているものはあまりないな。 あ,あれか,ダークサイドオブザムーン(ピンクフロイド)これも今回聞きなおして結構いろんな音が聞こえた。 あとはジェフベックのブロウバイブロウこれは音がいい。けど,ブルーボックスの音色はあんまし好きじゃない。 ジミヘンはどうかな??聞いてみるっぺ。 リトルウイングのロータリースピーカなのか?これ気持ちいね。 エレクトリックレディランドの1曲目このステレオフェイジングはやばい。再認識。。 なんか,例えばプレーヤー(雑誌)でアルバムのレビューとか良くやってるけど, 昔はいまいち話に入っていけなかったけど,これはやばいね。 記事に書いてあったことを思い出す。。。。思い出す。。。ここのドラムは回転が落ちてるんだ〜 じゃあ,あの曲のイントロのバスドラはパンが振ってあるのかな〜??? なんて。 23:41 2005/08/11 ●さあさあウンザリするほどマニアックな話になってきた。 今日は2点ほど。 今日の獲物@秋葉原はバイポーラのケミコン。 PCM1704を使ったDAC基板の出力はOPA2134を使用しているのだが, 民生機らしく出力をケミコンでカップリングしている。 パラでPMS474Jと印字してあるゴムっぽい皮膜のフィルムコンデンサーが入っているが, ケミコンはニチコンのFine Goldを使っている。 もちろんノンポーラだ。 WEBをあさってみるとノンポーラの電解コンデンサーでも数ボルトの逆電圧には耐えられるそうだ。 でも,過度な逆電圧は酸化皮膜の再形成とガスの発生を予感させるので気持ち悪い。 アルミ箔の両面をエッチングしたバイポーラならばまだ精神衛生上気楽だ。 といっても,バイポーラは品種も少なく入手も難しい。 妥協して今回はMUSEのBPを使った。 あのメタリックグリーンのきゃつだ。 いつものことだが基板取り付けようとしたらデカイ! 最初からついていた25V220Fと大きさは同じかと思っていたがリード線のピッチまで違っていてびっくり。 まあ,耐圧を勘違いして50V220uFを買ってしまったのも失敗のひとつだな。 交換した直後はちょっと寂しくなった。 なんか普通の音になっちゃった。 残響感とか,ドラムスティックのチップがシンバルにはじける感じとかが出なくなった。 よっぽど付け替えてやろうと思ったけど,思い直してエージング。 個人的にエージングって言葉は好きじゃない。 時間が経って物性が変わるようなモノは使いたくない。 ただし,ケミコンだけは生ものであるとよく言われている。 一応理論的な裏づけもあることだし。 ここはちょっとエージングをしてみよう。 ケミコンの絶縁膜を生成するときは電解液中にアルミ箔を浸して電圧をかける。 アルミ箔の表面で化学反応が起きて酸化アルミの絶縁膜が生成されるわけだ。 もちろんマクロに見ると絶縁膜が壊れていて電流が漏れてしまう部分もあるだろう。 製品として出荷された後でも電解液に浸かっているわけで電圧をかければ 少しは膜が復活するのではないだろうか?? ということで数時間5Vp-pくらいのACを流しつづけた。 バイポーラだからね。ACなの。 まあ,普通のケミコンに電圧をかけたところで漏れ電流が減るわけではないので, なんか胡散臭いけど,ミクロンオーダーのアルミ箔をぐるぐる巻いているし, さらに表面積を増やす工夫もしているので,無数の絶縁膜の欠陥から電子が漏れることを想像するとノイズっぽくなりそう。想像だが。 エージングは20Hzから20kHzまでのスイープ信号で行った。 絶縁膜を生成するときの波形にはいろいろとノウハウがあって,印加する波形を変えるとアルミ箔表面の絶縁膜のつき方も変わるそうだ。 まあ,今回は波形に特に意味はない。 電圧は5Vp-p。フルビットで2Vp-p位出るようなので,ちょっと高めの電圧でエージングして, 5Vで潰れる絶縁膜の欠陥を潰してしまおうと考えた。2Vでは潰れない欠陥が出てきそうだ。 でも良く考えると出力がオープンだから電圧かかってないじゃん。 もう一回やり直そう。 でもエージングしたら交換する前と同じくらいの音にはなってくれた。 ネタ第2段 スピーカーケーブルを買った。 重かった。なんせしめて20メートルあったからな。 お陰で腕の余計な筋が痛くなった。 さて,20メートルで3000円のこのスピーカーケーブル。 実は10メートルが2本。太さが違う。これはたいした意味はなく, 某有名電線屋さんO出電線の店頭に4芯のCVVSケーブル1.25sqが1.5メートル,切り売りの端っこのあまりで出ていた。 最終的に2sqもあるよという店員さんの声につられて, 1.25sq1.5m,1.25sq10m,2sq10mを持ち帰ることに。。。 まあ,店頭にたまたま出ていたものを全て持ち帰ったわけだ。 太さとしてはスピーカーケーブルとして特別太いわけではない。 なんと言ってもまずは4芯。 スタークアッドができる。 そしてシールド付。これが結構分厚い銅箔でしっかりシールドされている。 これはあまり見かけないんだよね。 3芯は標準でフジクラのCV-Sを置いてるけど。 メーカーは住電日立電線。うーんこういう硬派なブランドに弱い。 オーディオブランドにまったく興味ないのに。 この手のケーブルは4000/m位で売っているのを見かけたことがある。 ということは1/10以下の値段で手に入れたわけだ。 早速ムキムキしてしてスピーカにつなげる。 なんと言っても7芯の同心撚りという泣かせる仕様だ。 体験したことはないが芯数が多くなると音がザワザワするらしい。 単線は硬いので取り回しが厄介だし,音的にもつるっとしているイメージがあるので7芯か19芯くらいがちょうど良いと考えている。 低音がバカスカ出ることを期待していたのだが見事に裏切られた。 だが,気づくとボーカルがとてもよくなっている。 張りが出た。前回10kHzくらいがうるさいと言っていたが,それもなくなった。 2kHzあたりを不自然にならない位に持ち上げた感じだ。 バランスがすごく良くなった。中音域の活きが良くなった。 ちょっと低音不足に感じるが,出ていないわけではなくて,中高音域が良くなったので引っ込んだだけ。 ドンシャリ感がなくなったのでより健全な音に近づいたと。 ツイータがカサつくなんてことは気にならないし,低音がボンつくの気にならない。 トータルバランスが重要なんだね。 あとはCS8412のアナログ電源に0.01uFのチップ積セラを追加。 30MHzくらいのリップルが見えていたのがなくなった。 それにしてもアナログ電源は汚い!! どうやらVCOが汚染源のようだ。 反則だがフィルター端子に0.01uFをつけてみる。 ノイズは激減。 PLLのLOOP帯域が設計よりも下がってしまうが。 多分。多分。多分大丈夫。 クラプトンのアンプラグドを久しぶりに聞いたが結構よく録音できてるじゃん!! 明日は電源の極性あわせでもやろうかな。 1:17 2005/09/06 ●久しぶりにアンプをいじった。 最近電源の勉強をずっとしていた。 電源の極性合わせだとか,電源ケーブルで音が変わる云々は実際どうなのだろうと考えてみたり。 結局,100VのAC電源は汚れていて電位もフラフラしてるという,電気的にはなんだかよくわからない存在だとうっすらとイメージをつかんできた。 電源の極性合わせは昔から行われていることで,複数のオーディオコンポを接続した上で良い音出すためには必要だと力説する人,あまり気にしない人・・・ 日本のコンセントは一見極性がないように見える。 二つの穴が平行に並んでいるだけだ。 だが,気の利いたコンセントは明確に極性表示が示されている。 長いほうがどっちだっけ?忘れた。WEBで調べりゃいくらでも出てくるから。(長いほうがアースだね) 海外製の製品に良く見られる3Pコンセントはアースプラグついていて,極性は自ずからきまってしまう。 最近はこのアースプラグは接続しないほうが良いと言うのが定説になりつつあるようだ。 さて話をもどす。 日本ではコンセントの2本のうち片方が電柱に乗っている柱上トランスから地面にアースが落とされている。 厳密は単相3線という配線方式で屋内に引き込まれるのだが略。 そもそもアースとはなんぞや? 地球だ。(「ちたま」ではない) どうやら地面は電気を通すらしい(定説)。 定説って流行語大将になったっけ? でもうちはマンションの3階だ。地面はないぞぇ。 電気は電位差のあるところに流れる電流だというイメージが強い。 あくまでも電位差が重要であって,絶対的な電位を議論するのはナンセンスである。 電位は相対的な量であって,絶対量はまったく持って意味がない。うむ。意味なし。 例えば,俺の電位は1,000,000万ボルトだって言ったって嘘にはならない。 基準はどこだい?って話。M16星雲か? 地球上では電気の基準は基本的に地面である。 電気的に地面から浮いている(絶縁されている)と雷雲が近づいたときに電位が上昇したりするらし。 要するに地面に立っている人間は地面と同電位であり,雷雲が10万ボルトの電位をもっても 人間は地球からみたらゼロボルトである。 飛行機はどうか?地面から浮いている。 雷雲が近づくと機体の金属中の電子が雷雲に引張られて地球表面に対して電位が発生する。 では飛行機の中の人間はビリビリしたりするのか? しない。 乗客は飛行機とまったく同電位であるから感電はしない。 地面に立っている人間に雷が落ちると即死だが,飛行機に雷が落ちても大抵の場合,本質的には墜落には至らないし,乗客は無事だ。 なぜか?飛行機と人間は常に同電位であり,電流は流れないからだ。 同様に飛行機は金属製で機体はどこでも同電位であり,制御系の電気ケーブルには雷の電撃は流れない。 電流は電位差のあるところに流れる。そゆこと。 さて,直流だけを考えると割とイメージしやすいのでなんとなくわかるのだが,交流でアースのことを考えるとややこしい。 直流は絶縁抵抗が高ければ電位差があっても電流が流れることはないが, 交流は絶縁抵抗が高くても電流が流れるのだ。 世の中のすべてのものはコンデンサーであり,お互いに静電容量を持っている。 いきなり話はぶっ飛ぶが,交流はコンデンサーを通過することができる。 つまり,直流的には完全に絶縁されていて電気が流れない関係にあっても,交流の世界では微妙であるかもしれないが,導通しているのである。 人間同志だって静電容量を持っている。勘違いされそうだが,静電気はちょっと違う。 文字通り静電気は「静電気」なので基本的に直流だと考えたほうが理解しやすい。 50Hzや60Hzという周波数では静電容量はほとんど無視できる。 これが数100MHzだったら100pFの容量も無視できない。 試したことはないが,高出力の高周波に人間が触れるほど近づくとどうなるのか興味深い。 一番近いアースに向かって人体中を電流が流れるだろうか? 人間なんてどんなスピーカーよりも繊細で数100mAも電流を流せば即死である。 イメージ的には電子レンジが剥き出しになっているイメージだろうか?? 触れてもいないのに体中が沸騰したりして。 このパワーアンプを使うと体が芯からあったまる・・・ →高周波で発振していないかどうか確認してみたら?(笑) だいぶ横道にそれたが,要するに高周波君はアースとかグランドとかはあまり興味がなくて,とにかく近くにあるインピーダンスの低い金属が大好きであるということである。 まあ,落ち着きのない浮気者なんだな。すぐ飛びついちゃう。 そういうやつはグランドに落としてしまえ!!近くにグランドを置いておけ!! そろそろ寝よ。 1:08 2005/09/07 ●ケーブルを変えると音が変わる。 最近の流行は電源。ちょっと前はスピーカケーブル。そしてラインケーブル。 一見非科学的な現象も実は高周波ノイズの影響が無視できないという考えが最近わたしを支配している。 例えば,「電源の極性管理で音が変わる。」という事実が如実に物語っている。 「可聴外の100kHzくらいにF特のピークがあると音がざわつく。」という言葉をWEBで見かけた。 レコーディングエンジニアなのだが機材にも詳しくこのマイクプリは音がざわつくといってF特をみるとピークがあったりすると。 ラインインピーダンスのミスマッチで入力トランスが高域でピークを持っていたりすることはよくあるそうだ。 この話は納得できる。 もし,アンプを自作する人がいて,「NFBをかけると・・・可聴外のピークなので問題ない。」 という言葉を発していたら,信用しないことにしている。 20KHz以上の帯域でも何がしかの聴感上の影響があるのだと考えたほうが現在のオーディオシーンをサーフィンしていくには都合がよい。 そして,高周波対策には高価なケーブルや機材ではなく常識を持って対応をすればよい。 可聴外の高周波に対する音色のネガティブなキーワードは ・落ち着きがなくなり,ざわついた感じがする ・ザラっとした感じがよく出て・・・ ・ゾクっとするような 逆にポジティブなキーワードは ・ベールがはがれ,音の奥行きが ・音の静寂性がまし,音場が広がる ・音がおとなしくつまらなくなる 番外編として設計がまずく可聴外で発振気味の機材に対しては ・このアンプはスピーカやケーブルの違いが良くわかる ・元気がありシャキっとした・・・ 逆に過渡応答が鈍くリンギングがまったくないと ・音が平坦で前に出てこない ・滑らかで押し出しのある ・Non-NFB Ampだから・・・ といった言葉が似合うように思える。あくまでも個人的な主観であるが。 念を押そう。電源の極性がなぜ音質に影響があるのかそれを主張したい。 音が出ている状態でラインケーブルを抜いて,GNDを接続せずにホットだけ接続するとどうなるのか?? 試してみる勇気のある人はなかなかいないと思うが,うちのパワーアンプは幸い入力感度が高いので,これができる。 何が起こるかというと,「ブー」というハムが出る。 「チリチリ」というノイズが聞こえるかもしれない。 はたして,ホットだけ接続した状態ではなにがおきているのか? 答えは,「パワーアンプとプリアンプの交流電位の差が増幅されている」ことになる。 そして,GNDも接続すると見事にノイズは消える。 パワーアンプとプリアンプの電位差がGND同志を接続して,電流を流すことで抑えられているのだ。 つまり,ラインケーブルのGND線には常にパワーアンプとプリアンプの交流電位差に相当する電流が流れていることになる。 もし,GNDがインピーダンスをもっていて,しかも音声信号を同時流しているならば,共通インピーダンスを持つことになり,音声信号は汚されてしまう。 コンセントの極性合わせを厳密に行うと,この交流電位差を少なくすることができる。 だから,ノイズ感が減り,奥行きと静寂性が増すのである。 では,そもそもこの交流電位差はなぜ発生するのだろうか??? 原因は明白でAC電源をアンプに引き込む部分と電源トランスにある。 日本ではACコンセントの片側は設置されているが,それが,アンプが置かれている環境の基準電位と一致しているとはかぎらない。 所詮,基準電位とは近くにある大きな導電物質であり,地球ではない。 マンションの部屋の中ではマンションの鉄骨が基準電位であり,ACコンセントはノイズ源でしかない。 そのノイズ源のAC電源がアンプの筐体内に入り込み,トランスに入る。 トランスは銅線がぐるぐる巻いてあるので浮遊容量を沢山持ち,1次側と2次側はDC的には絶縁されていても高周波にとってはザルである。 もちろん,シャーシに対しても浮遊容量を持ち,50Hz(60Hz)でさえもシャーシに漏れこんでくる。 AC100Vのアース側に対するシャーシの浮遊容量と,ホット側に対するシャーシの浮遊容量はおそらくpFオーダーであろう。 しかし,コンデンサーが分圧回路を構成しているので,例え50Hzだろうが1Hzだろうが,シャーシはアース側とホット側の間に基準電位を持つようになる。 たとえば,コンセントの極性合わせを行うときにある方向では20V,逆にコンセントを接続すると60Vの電位を観測したとする。 これはまさにAC電源に対する交流電位を示していて,トランスの浮遊容量の比に比例しているはずである。 そして決してゼロになることはない。 もしゼロになったらAC電源のどちらかの端子がシャーシに接続されていることになる。 それぞれ異なったトランスは異なった浮遊容量を持ち,異なったコンデンサーの分圧回路をもっているので,違う機材は異なった交流電位を持つ。 だから,機材間のGNDをつながずに信号線だけつなぐと「ブー」というハムが出るのだ。 この事実は3Pコンセントの真ん中のアースをシャーシに落とさない場合にのみ成り立つの。 3Pコンセントのアースを筐体に接続してずべての機材を共通のアースに落とせばこの問題はクリアになる。。。。 しかしながら,オーディオではこの3Pコンセントのアースを利用することは御法度とされている。 GNDループができてしまうからだ。 もし,3Pコンセントのアースを接地するならば,一連のコンポの中で一箇所にするべきと言われている。 おそらく家庭内で使用する程度ではGNDループの影響は少ない。 共通のACタップから全ての電源コードを束ねるようにしてループを最小にしてやれば誘導されるノイズは減る。 しかし,大きなホールで音響を行う場合はGNDループで悩まされたりする。 「PA卓,音響調整室,映写室,ステージ」という巨大なループができると照明の調光ノイズや映像機器からの高周波ノイズに悩まされることになる。 極端な話,原子力発電所では引き回しの違うGND線を2本引っ張り出して,電球をつなぐと点灯することもあるとか。。。 まだまだネタはある。 例えば電源ノイズフィルターの話,シールド線の話,スタークアッド接続,2芯シールド,アンバランス伝送。 電線にまつわる話には事欠かない。 バッテリーが最高。そう。それが最高なのは間違いない。 寝よ。 22:34 2005/09/07 ●電源からノイズが回り込むこむ原理はなんとなく理解できた。 要するに,2台の機材があるとお互いの電源トランスの浮遊容量を通じてAC電源のノイズが漏れるのだ。 もし,AC電源に対する2台の機材の交流電位が等しければACに重畳したノイズは漏れ出さない。 例えばプリアンプとパワーアンプのシャーシをそれぞれAC電源のアース側に接続すればACに対しては導電位となるので,ACに重畳するノイズは流れなくなる。 ただし,もし電源の極性を間違えて接続すると火傷をするか,運がよければブレーカが落ちるという重大なリスクを伴う。 このリスクを避けるためには0.1uF程度のコンデンサーを介してシャーシをAC電源のアースに落とせばよい。 この場合,2台の機材の極性を間違えると盛大にノイズが回り込むので何もしない場合よりもかなり悪影響が出るだろう。 こういったノイズに対する対策としてギターアンプは大変賢い対策をとっている。 アースの極性切り替えスイッチがついているのだ。 要するにシャーシをAC電源アース・ホットのどちらにでも落とせるのだ(コンデンサーを通じて落とす)。 そうして音を出しながら極性を切り替えてノイズの少ないほうにしておけばよいのだ。 もしくはもちろんどちらにもつながないと言う選択もできる機種もある。 エレキギターは弦アースとか言って金属の弦がGNDに接続されている。 そして人間が弦に触れることによってピックアップなどが拾う電磁波的なノイズをアースに逃がしてノイズを防止している。 エレキギターにとって一番のアースはギターアンプではなくて人間なのである。 このことからもわかるように,常にAC電源が良質なアースと言うことではなく,むしろノイズだらけのつかえないヤツだったりする。 アースというのはあくまでも空気中に放置された金属塊なり,電気製品なり,人間のような導体がもつ電位であって,常に地面と等しいわけではないし,地面に対してインピーダンスを持つようなアース線の引き回しでは効果は薄い。 そして最悪なのはノイズを発生する電気機器が共通のアース線を共有していることである。 電源ケーブルを接続しない状態で部屋に電気製品を放置すれば,電気製品は周辺の雰囲気と浮遊容量からきまるアース電位を持ち,どんな機械であろうとそれほど電位は変わらないだろうと想像できる。 しかし,電源ケーブルを接続した途端に電源トランスの浮遊容量が支配的になり,AC電源の支配下に入る。 電源トランスの浮遊容量は機材によって異なるためそれぞれの機材は異なる電位を持つわけである。 異なる電位の機材を接続するからAC電源に重畳したノイズの影響が出るのである。 例えばこういうのはどうだろう。 鉄製のラックに全てのコンポーネントを接地して全ての機材のシャーシをラックに落とす。 この際に直接落とすとGNDループができてしまうのでコンデンサーを介して落とすのである。 もし,AC電源の状態が極めて劣悪でノイズに汚染されている場合は効果があるだろう。 もうひとつことなるアプローチとしてはAC電源を純粋な正弦波にしてのノイズを完全除去する方法である。 所詮トランスの浮遊容量などは50Hz・60Hzにはきかないので直接ハムとして聞こえることはない。 もし,ACが完全にクリーンであれば,交流電位の異なる機材を接続してもノイズの問題はない。 もちろんノイズを出すようなCDプレーヤーやスイッチング電源を内蔵した機材はご法度だ。 例えばノイズカットトランスやアクティブ電源を導入するのは良い方法だと思う。 究極はバッテリーを電源にしたアクティブ電源だろう。 もちろん音楽を聞く際には充電用の電源ケーブルを抜いたほうがよいだろうし,家のブレーカを落とすときっともっと効果的だろう!!! できれば各コンポに一台ずつ導入したいな。 ノイズフィルター(ACラインフィルタ)についても少し勉強した。 AC電源ラインにコイルやコンデンサーを挿入してノイズを減らそうというものだ。 AC電源に乗ってくるのはコモンモードとノーマルモードの2種類のノイズで, ノーマルモードノイズはコンデンサーをACラインに入れれば,ある程度までは比較的簡単に落ちる。 もちろん危険なので専用のコンデンサーに限るが。 コモンモードはややこしい。 どこを基準にするのかにもよるのだが,とにかくどこかに基準のアースを作ってそこに向かってAC電源のアースとホットからそれぞれコンデンサーを落とす。 このときコモンモードコイルを併用すると効果が大いに上がる。 どこかに基準を作ると言ったが,大抵の場合は3Pコンセントのアースである。 これはAC電源のホット・アースのアースとは別物である。 どうやら独自に地面にアース棒を埋めたり,マンションなら鉄骨につないだり自分で勝手に決められるらしい。 しかし,十分にインピーダンスが低いアースでないと,ノイズの多いAC電源からコモンモードノイズを落とすと逆にノイズに揺さぶられたりしてしまう。 だからアース対策は人それぞれなのだ。 電源フィルターは同じ品種のものをそれぞれの機材にひとつずつ使い,フィルターのアースは一箇所にまとめる。 このアースは機材の筐体(シャーシ)には接続しないほうが良いだろう。 まとめたアースをどこに落とすかは状況次第だろう。 基本的にはコモンモードを落とすためのコンデンサーが入るのでAC電源のアースに対して50Vの電位を持つことになるだろう。 もうひとつ気をつけることは,オーディオ機材は全て同じコンセントから取ったほうが確実である。 日本のほとんどの一般家庭は単相3線という配線方法で屋内に引き込まれていて,異なるコンセントだと最大で200Vの電位差を持つ。 うちの部屋には3つのコンセントがあり,ひとつは3Pコンセント,もう二つは2本だけのコンセントである。 この2種類が,単相3線の逆相で接続されていて困るのだ。 配電盤には専用コンセントという魅力的な記述があるのだが。。。 一番の問題はパソコンである。 パソコンはノイジーとよく言うので,オーディ関係とは別系統の電源からとっている。 どうやらパソコンはスイッチング電源なのでノイズ対策のためにシャーシとAC電源をコンデンサーで結んでいるようだ。 USBケーブルの金属部分を持ちながら,オーディオ装置のグランドに触れると感電する。 明らかに手で触ってわかる感電なので50V以上である。 まあ,マニアック言えば,Yコンが入っているので,アースに対して50V,逆相のホットに対しては150Vの電位を持つのである。 実測したらそうなっていたよ。 へたしたら漏電遮断機が落ちかねねぇよなぁ。 そういえばそんなことを考えつつ自分の5998アンプを改造した。 ・AC電源をトランスに逆極性でつないでいたのを修正 ・ACを通すところは漏れなく撚る ・ついでといっちゃなんだけど,初段と出力段の結合コンデンサーに0.47uF使っているが,0.47uFをパラって1uF相当にしてみる ・ブリッジダイオードの入力側に0.01uF1000Vを追加 なんか音がものすごく分厚くなった。 400Hzから下を全体的に3dBくらい上げた感じになった。 そのかわり繊細や奥行きはなくなったように思える。 それってノイズが増えたってこと? DACもVRを\2500くらいのやつにしてしっかりはんだ付けし直したりしたからな。 やはり複数の改造を一度にやっちゃいけないね。 ふと気になってパワーアンプの極性を確認したら逆になっていた。。。 修正したはずなのに??? 電位が小さいほうに接続したほうがわずかであるが奥行きとシャッキリ感がでて,中低音の分厚さが気にならなくなる。 一応ブラインドテストをしてこっちが電位差が少ないほうだって決めて,確認をしたら見事正解だった。 いや,ブラインドテストじゃないとわからないわずかな違いか。。。 分厚い音が好きな人は逆極性を選んでいたかも。 たまたま音のあついソースで決めたから当たったのかも。 もし,最近のデジタル録音で極性決めをしたら逆にしていたかも。。 なにごともバランスだと,うちの先輩は言っていた。 「う〜ん,オーディオはバランスだからね〜」と。 久しぶりにロリーギャラガーを聞いてみる。 熱い。熱い。熱い。エレキのナチュラルディストーションが耳に突き刺さる。 ベースの重心も以前よりもぐっと下がって質の良いライブハウスのステージ直前で聞いているようだ。 バスドラは脳みその後ろあたりを圧迫されるあの感じで,フロアタムのズシンと来る。 体で感じる低音が16cmから出てくるのだからなかなかやるもんだ。 この「ライブインアイルランド」というアルバムはギターアンプの音のレンジがものすごく広くて,超低音まで拾っている。 スピーカーがバコバコと揺さぶられているのがよくわかるし,ピッキングニュアンスも良く出ている。 左チャンネルの「ジー」というノイズが気になるがエレピから出ているのだろう。 それも含めて臨場感というものだ。 しかし,なんで極性を合わせたつもりが逆になったんだろう??? なぞだ。線を撚ったから?う〜む。。。なぞだ。 電源トランスには親切に0V,100Vと表示があり,0Vをアースに,100Vをホットにつないだはずなのだが。。。 気持ち悪いよ〜今日はまだ寝ないけど。 19:19 2005/09/10 ●NX-6Aという製品がヨーロッパ,アメリカで発売されたようだ。 FOSTEXのあたらしいニアフィールドパワードモニタである。 マグネシウムのツイータを搭載してる。 RS-N2,RS-2に搭載しているツイータを流用したのだろう。 ずるい。でもパワードなのはいまいちだな。 AVフェスタは去年は行ってないが,今年はいってみよう。 RS-2の音を聞けるかもしれない。 NF-1というスピーカはどうなのだろうか。 16:09 2005/09/19 ●5998アンプの特性をざっくり測ってみた。 8Ωのダミーロードを接続する。 10kHzの方形波を入力して出力をみる。 1kHzの正弦波を入力して出力を見る。 10kHzの方形はの応答はさすがに無帰還アンプに特徴的ななまった方形波になった。リンギングは皆無。 なまりもそれほど大きくなく,50kHzくらいまで帯域がありそうだ。 1kHzの正弦波をで入出力特性を測る。 入力が5.76Vp-pの時に19Vp-pでクリップした。 入力感度は5V以上あると言うことだ。 しかし,実はPCM1704DACを直接接続してVRを全開にしたところでちょうどクリップだったのでシステムとしてはちょうど良く整合が取れている。 もちろんVR全開だとかなり近所迷惑な音量になる。 このとき出力は約6W。 VR全開だとNF-1のウーハーも目で見てわかるくらいまで振動している。 これ以上がんばるのはしんどいだろう。 ちょうど良いだろう。 測定中に気づいたのだが,なんと入力と出力が反転している。むむむ。 なんか気持ち悪いのでトランスの結線を変更しておいた。 音的に影響があると言われているが,ソースによっても正相がいいものと逆相がいいものがあるらしい。 まあ,録音したときのことを考えると正相で聞くのが正しいだろう。 GNDの取り回しもついでに変えておいた。 多分ほとんど影響はないが。 で,もう一度音だし。なんか音量が小さく感じる?? 大きい音が小さく,小さい音が大きく聞こえる。。ような気がする。。。 D-Rangeが狭くなった?というのか,逆に広くなったのか? 小さい音が聞こえるんだからD-Rangeは広くなったんじゃないか? 測定を終えて安心して聴けるようになった。 DACの出力と5998アンプの感度もぴったりだし。 安心してフルボリュームで聴ける。 山下達郎がサンレコで言ってたけど,最近奥行きのある録音がへったでしょ。と。 デジタルでマルチマイク録音するから,リバーブ成分も全部デジタルで他の音とまじった残響とかもないから 作られた立体感で定位は良くても奥行き感はどうしても出ない。 下手な日本語。 音の見通しが良くなればなるほど録音の良し悪しが気になりようになってくる。 やはり最近の録音はノイズが少なく帯域も十分だが,その分アラが目立ったり,リップノイズが気になったりする。 ということでアナログテープの時代でよい録音をマスタリングし直したものが一番気持ちよく聞ける。 お気に入りはライクーダ。アコスティック楽器が良く撮れている。 ロッドスチュワートの「The Great American Songbook」は一聴するとよいように思っていたのだが, 最近はストリングの広がりやボーカルの質感があまり好きでない。 エリッククラプトンのアンプラグドはライブの割に録音がとても良いのに最近気が付いた。 ただし,古すぎる録音はテープヒスが気になったり音が割れたりしていて気になる。 やはり,60年代後半から70年代中期の録音が良いようだ。 コンソールが半導体化されてまもなくはの70年代後半から80年代はあまりよくないように思う。 そして,おそらくデジタルの出始めである80年代中期もいかがなものかと思われる。 1:59 2005/09/24 ●泣ける。 最近歳をくったせいか,妙に感動しやすくなっている。 グッとくるとか鳥肌が立つとか,そういう感覚を感じることが多くなった。 もう少し若い頃はそういう感覚ではなかったように思う。 大人の世界がどれほどのものなのか,既存の価値観はどれほどのものなのか 誰もが感動すると言われるモノがいったいどれほどの価値があるのか? そんな疑問を持ちながらいつも斜に構えていた。 いろんなモノを見て,聴いて,知って,体験して, そのモノの奥の深さ,複雑さ,繊細さ,奇跡的な偶然の瞬間に出会い,感じた経験が少しは人生の糧になっているのだろうか。 若者にはわかりやすい価値観が必要だ。 人生経験が少ないからこそ深遠なる芸術の淵を除くのは困難である。 しかし,わかりやすさも芸術の大切な要素だ。 何が僕を語らせるかと言うと,Janis Joplin というシンガーが語らせてる。 なんか泣けるんだよね。 今聞いているのは新しい「Pearl」彼女の遺作になったアルバムだ。 「新しい」というのはなぜかというと,2枚組みで再発売された新しい「Pearl」だからだ。 彼女の歌からはわかりやすい価値観を感じる。 とっつきやすいということだ。 嫌いな人もいるみたいだけどね。 悲しい。必死すぎる。ちょっと無理してるんじゃない?みたいな。 ブルースを感じるか?それって結構重要で,音楽にはブルースが必要。 どんなにハッピーな曲でも幸せの裏にあるブルースが必要。 歌いたいから歌う。歌うのが好きだから歌う。どうせ歌うなら全力で歌う。 悲しみと喜びの狭間を行き来しているような彼女の生き様。 悩みや苦悩とは対極にある,華やかなステージでのパフォーマンス, 孤独との葛藤と,スポットライトを浴び注目されることのギャップ。 なにが彼女を動かすのだろうか,なにが彼女を歌わせるのだろうか。。 このアルバムは聴き慣れていたけど,いまここで聞いていみると音のよさに愕然とした。 新たにマスタリングし直したようなのだが,1曲目の「Move Over」のイントロの一発目のバスドラからして違う。 ジャニスの歌も違う。圧倒的に生々しい。 バックバンドのそつのない演奏もクールなのに濃厚で広がりのある音になっている。 1曲目「Move Over」,2曲目「Cry Baby」でグッときて,このアルバムはこの2曲で十分とも思ってしまう。 でも,「Me and Bobby Mcgee」と「Mercedes Benz」は忘れちゃいけない。 「Mercedes Benz」のビートを刻んでいるのはドラムスティックだと思っていたのが, 音の見通しが良くなったせいで,なんかスリッパみたいな音に聞こえて苦笑してしまった。実際は何を叩いているのやら。 ボーナストラックは期待していなかったけど,別テイクの「Move Over」(未発表)のアレンジは新鮮で◎。 あと,特にジャニス弾き語りの「Me and Bobby Mcgee」はいいかんじ。 結局,全部通しで聴いてしまった。 2枚組みのもう一枚はライブ版。 カナダの列車ツアーで録音されたものだそうだ。 ノイズも多く音質はかなりいまいちだけど,名曲ぞろいで美味しいとこ取り。 やはり他のアルバムも全部買い直すかな。 こういうCDはラジカセで聞くのが一番だろうな。 こちらも全部通しで聞いていしまった。 「今日それを手に入れたら明日はどうでもいい。」 「明日という日がくることはない。」 「どうせ毎日おんなじ繰り返しなんだから。」 ってジャニスが言ってた。 今をどれだけ懸命に生きてるかってことが大切。 明日のことは考えない。見返りも考えない。そゆこと。 1:10 2005/10/05 ●土曜日にチャリンコでこけた。 痛かった。ここには真相を書いておこう。 城南島というところがあって,そこにふらっと行ってきた。 平和島とか,昭和島とかを橋伝いに渡ってたどり着いたのだが, なんとも場末たところだった。 ただし,公園が整備され,人工の砂浜があり,バーベキューやキャンプができる施設がある。 そして,海の向こう,数キロ先には羽田空港が見える。 南風の時の進入経路の真下付近にあるので,飛行機が頻繁に頭上を通過する。 まあ,風が強くて落ち着かなかったけど,ひとりでボッとするにはいいかも。 でまあ,ウイリーとジャックナイフの練習をしてたわけだ。 700Cでウイリーはトルクのかけ方が難しくていまいちできない。 ジャックナイフ,これはもう前輪ブレーキを思いっきり握って両足から荷重を抜くと 後輪が上がってくる。後はどこまで耐えるか。 ちょっと調子に乗って早めのスピードからジャックナイフに入ったら, いい感じにグッと後輪が上がってきて,そのまま停止すれば完璧だったのに, ちょいとスピードが乗りすぎていたらしく,運動エネルギーがまだ十分にある状態で Vブレーキ特有の摩擦係数が急激に変化する閾値がきて,前方に投げ出された。 なぜかトゥクリップをしていたので,足が前に出ず,頭から垂直に落ちたわけだ。 自転車は直立状態になってから横に倒れたように思うがわからない。 自分の上にはふってこなかっただけましだろう。 どうやらまず右手を地面についたらしい。 次はなぜか左手から左ひじが接地。 その左ひじに上体が真上から落ちてきたのがまずかったらしく,自分の左ひじで左肋骨を強打。 なぜか頭は打たないところが長年のズッコケ人生の功名か。 右手はアスファルトでぼろぼろ。 左腕はひじ付近を打撲。 肘付近のあちこちの筋が痛い。 で,肋骨からわき腹にかけても痛い。 かっこ悪さに辟易しながら芝生で休憩。 右手はしびれるような痛み。 左手は伸ばせない,曲げられない。 なんとか家に帰り着いたものの。 シャワーを浴びても体が洗えない。 左腕が上がらない。 タオルを絞ろうにも右手は手のひらがボロボロで,左手は力が入らない。 歯も磨けない。 おまけに肋骨も痛い。 久しぶりに怪我をしたなぁ。 昔はいつもどこかを怪我してたけど。 手のひらの消毒は泡盛でちょいちょいとしておいた。 しみる。切り傷の痛みはしびれるような痛みだ。味覚で言うと酸味か辛味だろう。 打撲の痛みは鈍痛。味覚でいくと苦味だろうか。 予想できる痛みは我慢するだけでいいので慣れもあって平気なのだが, 今回左腕は力の入れ具合によってピキって急にくるつぼがあるので, 思わずウっとか声が出てしまう。 ということで日曜は死んでようと思ったのだが,外出。 結局遅くまで濃い酒とブルースに入り浸る一日となった。 左肋骨ははどうやら打撲だけでなくヒビが入っているらしく 腹筋に力を入れると痛い。ウンコするときが最悪。力めない。 くしゃみも最低。防ぎきれない。そして笑えない。 と,明日は水曜だが左腕の肩から手首にかけての痛みもだいぶ和らぎ,右手もかさぶたになってきた。 肋骨の痛みも煮干のお陰でだいぶ良くなってきた。 今日は3日ぶりに引き笑いをしたがあまり痛くなかった。 まあ,怪我は基本的にほっときゃ治ると。 後一歩のところで動けなるところだったけど,まあ今回も運が良かった。 バカらしい怪我ばっかしてきたけど,割と人間はもろいらしい。 だけど,案外治るものだ。 治ってしまうとまたバカらしいことをして怪我するのだ。 後遺症がなければ治癒と共に事故のショックも忘れていき, 健康ってすばらしい。手足が自由に動くって素晴らしいとあんなに実感して納得してた自分はどこへやら。 自分は事故で死ぬタイプだとおもう。 あっけないくらいに。 1回の致命的な事故の裏には30回の些細な事故があると言われている。 その30回と1回には何の違いもない。結果として,致命的か,些細かと言うだけで, 事前の心構えやらなんやらはまったく関係ない。 僕はあまりに油断しすぎているのと無理しすぎるせいでそのうち致命的なミスをしてあっけなく死ぬだろう。 飛行機が怖いとか,自転車は危ないなんて詭弁にすぎない。 乗り物を操る人間は,安全を優先しつつ目的地に向かって淡々と状況判断を繰り返していくだけである。 乗り物を整備する人間は,自分の財布と相談して安全に関わる部品の保守点検を行って交換していくのである。 人間がなにか行動を起こすということはそれに見合ったリスクを背負うということだ。 ある地点からある地点に移動するのにも様々な交通手段があるが,歩けば安全というものではない。 安全でなくても安心ではある。 歩くのはなぜ安心か,自分の足で地面を踏みしめているから。 飛行機はなぜ怖いのか,誰が設計したのかわからない機械に載せられ, 誰が操縦しているのかもわからず,誰が点検・整備したのかもわからない, だから恐怖を覚えるのだ。 もし,航空機の安全に関する知識をもち,整備のことを勉強して,飛行の原理や操縦法を知っていればそれほど怖いものではない。 知りすぎると逆に不安になるかもしれないが。。。それは知らん。 それは割り切るしかないだろう。 航空機事故で生き残る確率は極めて低い。 はなからあきらめるのが筋だろう。 乗り込んだら酒飲んで寝るが一番。 開き直るが2番。自分は2番。 だから,自転車に乗るのも同じ。 自分で整備した自転車で車道を走るわけだ。 一番怖いのはトラックに抜かれるとき。 トラックの荷台は高く,下半分は隙間がある。 しかも荷台は乗用車のようになめらかでなく角張って洋服が引っかかるような出っ張りが沢山ある。 もし。接近しすぎて一瞬でも接触すれば後輪に踏み潰されること必至。 しかも全長が長いと来ている。 自転車は一旦右に寄ってしまったらもうちょっと右にはみ出ないと左に戻れない。 吸い寄せられるようにしてトラックの荷台が肩をかすめていく。 最後に駄目だと思ったらブレーキをかけるしかない。 そこで前輪がスリップしたらやはりどっかの出っ張りに頭をぶつけて首がもげるだろう。 ああ恐ろしい。 といってもやっぱり開き直るしかない。 この前は初心者マークの乗用車にやられたな。 手前の交差点で初心者マークの乗用車を追い越して 次の交差点のすぐ手前で横に並ばれて,さっきの初心者マークの乗用車が追い越したとな〜思ったら,そいつがゆるーくブレーキ。 初心者だから嫌な予感がしたけど,いきなりウインカーと同時に左折。 フルブレーキしたけど助手席にの窓に手をついて停止。 やべ〜やっぱ単車だけは乗らないようにしよう。 22:29 2005/10/10 ●あれから一週間。 やはり肋骨の痛みは引かず,どうやらヒビが入っているらしい。 まあ,来週いっぱいすれば治るだろう。 全治2週間と言うところか?? まだ左手も完全に復帰してないし。 今日は取り立ててトピックスはない。 プリンターを買った。で,紙がなくてプリントアウトできなかった。 ひそかに進めているプロジェクトがあるのだが,ここにメモしておこう。 まあ,例によってD/Aコンバータなのだが。。 自分で回路図を引いて,基板を作って表面実装部品をマウントして作りたいと思った。 ただのDACじゃつまらないのでVCXOと非同期FIFOバッファメモリを搭載して, 読み取り側で復調したクロックとは別に非同期でクリスタル精度のクロックを生成して, 最終的にはジッタの少ないクロックで直接DACを駆動するという構成にしている。 データはFIFOでバッファするので,データが化けたり,おかしなクロックでデータを叩いたりすることはない。 お陰でロジック回路の勉強をかなりすることになった。 D-FFだとか,同期・非同期だとか,今までわけわからんかったことが少し理解できた。 VCXOも作ろうとしているので発振回路の勉強もしないといけなかった。 そんでもって回路図を必死こいて書いて,ネットリストだして,CADで読んでパターン引いてという 一連の作業を自分で実際に行うという,普段の仕事以上に電気屋さんちっくなことを休日にやっている。 いや〜,電気は奥が深い。 というか,電気屋さんは奥が深い。 部品のサイズや形状まで考えながら回路を引いたことはないし,パターンを考えて回路図を引いたこともない。 また,メカの形状や,スイッチの位置なんかを考えて基板配置をしなきゃならないから,回路ができたところで すぐに部品配置を決められるわけでもなく・・・。。。 普段仕事で行っているのは製品を作る上ではホンの一部にすぎなくて,他人任せにしてばかりいるが,いつのまにか形になっている。 ということで大体の回路規模が見えてきたので,細部のつめと,部品配置などを考えつつ, メカ設計に手をつけなければならないな。 と言うことはまずはケースを考えようということになってきた。 またもや小さいケースに目がいってしまう。 どうせ苦労するのに。。。 電源は別にしようかと思う。 今後も使いまわしが利くしね。 DACの肝とアナログ部分も別基盤にして今後またいろいろと手を入れられるようにしよう。 バランス出力だとか,DACパラレルだとか,LPFの定数や形式とかを変えられるようにしよう。 0.65mmピッチの部品を自作で使うなんぞ今の時代もなんと言うか,エレクトロニクス産業はもはや技術力ではなくて,企画力な時代だね。 小さく作るのが得意な会社も多いけど,日本人は小さいのが好みなんだね。 企画と宣伝,付随するサービスで差をつけなければ,本質的なモノの良し悪しでは製品を売れない時代になっている。 まあ,まだ,モノがよければの話だが。 これで使い勝手が悪ければ,すぐにWEBで叩かれてしまう。 最近モノを買うときは必ずWEBでチェックしてるからな〜そういう自分が。 やっぱ,欲しいものは自分で作る時代だ!!それが贅沢ってもんだろう??